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− 毛皮と私 − 過去の作品

このHPをはじめた理由と、毛皮への思いを綴ってみました。

はじめに

はじめに

 私がこのHPを作ろうと思った理由は、やっぱり私は毛皮が好きだと思ったからで、昭和43年頃、日本にいる「いたち」で、着物の上に羽織る「東」コートやショールを作っていました。
 2、3年して、ヨーロッパやアメリカの、新しいデザインの毛皮が日本に入って来ました。当時は、やり方を覚える為に裏地をほどいて、どんな作り方、どんな芯地を使っているのか、いろいろ勉強させてもらいました。


毛皮への道

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 私は、当時成城にあった伊東衣服研究所という学校に通って、パターンや洋服の一からを習いました。本科、高等科、デザイン科、デザイン高等科、デッサン科を数年かけて卒業しました。
  卒業して赤坂に本店をもつ、株式会社中村毛皮店に就職しました。


新しい型紙への挑戦

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 当時、型紙は、普通の洋服のデザイナーが、毛皮のデザインやパターンを製作していました。
ヨーロッパでは、洋服や毛皮の長い歴史があり日本は、そういった意味においても歴史が浅く、中村毛皮店でもパターンや技術をヨーロッパから取り入れるようになりました。
  毛皮には毛皮特有のパターンがあるわけです。でも、海外のパターンをそのまま使っても袖が細かったりサイズが合わず、日本人の体型に合わせるのに苦労しました。


毛皮の縫製

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 その当時、縫製の方もドイツからマイスターを呼んで、貿易センター内で毛皮の講習会が開かれました。私も会社からその講習会に参加させてもらいました。
  その時の毛皮の立体裁断の技術は、私の人生の中で毛皮に対する考え方を変えたと言っていい位素晴らしい技術でした。そして、技術だけではなく、歴史や伝統まで感じられる様な素晴らしいもので、私の毛皮人生の中でも大事な経験となっています。
  その後、新しい素材が日本に入って来ました。


毛皮の養殖

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 そして、新しい素材のミンク・きつね・アザラシ、その他いろいろな種類の素材が日本に入って来ました。世界的に毛皮の需要が多くなり、ミンクの養殖やきつねの養殖が盛んになりました。
  私も今から35年前に、アメリカのシアトルやカナダのバンクーバーのミンクの養殖場に、勉強の為に視察に行きました。
  また、日本で養殖を広める為に、北海道からシアトルのミンクの養殖場に、仕事を覚える為に来ている人もいました。


毛皮のブーム

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 最初のころ毛皮は高嶺の花で、一般の人には流通していませんでした。ですから当時のお客さんは、芸能関係の人やお金持ちの人のオーダーの仕事が多かったと思います。
  それ以後、毛皮専門店以外の会社が、毛皮製品を扱うことが増えて来ました。そして、今から25年から30年位前に、毛皮が一般のお客さんが買えるくらいの値段で販売されブームになりました。そして一般の家庭にも、多分一着位は毛皮のコートがあるようになったのではないかと思います。


僕の夢

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 私は、今タンスの中に眠っているその毛皮を、今の時代に生き返らせたいと常々思っていました。どこまで出来るか分かりませんが、その毛皮を全く新しいデザインにリメイクして、若い皆さんたちからも是非着てみたいと言っていただけるような作品を作っていきたいと思っています。
  しかし、何分一人で制作しておりますので時間の掛かることもあると思います。毎年のファッションの流行を見て行きながら、制作していく予定です。


そして・・・

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 私は、近々それを一年に5点位のデザインで発表していきたいと思っています。
  また、こうして欲しい、こんな形は出来ないか等、アイデアがございましたら、どしどし遠慮なくお申し出下さい。出来るだけお応えしていけるように頑張っていきたいと思っています。
  どうぞよろしくお願い致します。